木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 残間里江子さんにお目にかかったのは、前(2000)年の3月10日のことでした。たしか、3年ほど吉本にいて結婚退職をしていた松岡由里子君に伴われて、NGKホールへ来られた際だったと思います。初対面のご挨拶代わりに、出たばかりの拙著「笑いの経済学」をお渡ししたのを憶えています。残間さんのお名前だけは、ベストセラーになった山口百恵さんの自伝、「蒼い時」をプロデュースされた方として存じてはいたのですが、それまでは接点もなく、お会いするのはこの時が初めてでした。

 残間さんとは、その後2001年の8月9日に、予てよりお付き合いのあった三基商事の理事で、健康アドバイザーでもある大ぞの千恵子さんからのお誘いで、株式会社マングローブの今野誠一社長とご一緒に、代官山の「萬葉庭」という店で食事をさせていただきました。名前の通り庭がとても美しかったのを憶えています。

 ちょうどこの年の7月20日に、私も見に行った福岡のマリンメッセで開かれた世界水泳選手権で、立花美哉さんと武田美保さんのデュエットが、日本シンクロ界で初の金メダルを取られたこともあって、2人が演じられた作品の「小劇場」を作られた井村雅代コーチと、作曲をされた大沢みずほさんの2人を労うべく、10月23日に、彼の司馬遼太郎さんが「これぞ上方の味」と絶賛された「蘆月」での食事会にも、大ぞのさんと共に、残間さんも参加され、再びお目にかかる機会がありました。

 そうそう、この日、会食が終わろうかという時に、私の携帯にダイソーの矢野社長から電話が入り、「今、女性と一緒なので・・・」と返事をしたところ、「いいじゃん!一緒に連れておいでよ!」と言われたので、落ちあい場所の「自由亭」というバーへ皆で行くと、メンバーの数と平均年齢の高さに、一瞬たじろがれた様子でしたが、次第に美形でおとなしそうな大沢さんにターゲットを絞られたのか、大沢さんとばかり話をされるようになり、他の女性軍からきついツッコミが入るようになって、店を出る時には悄然とされていたのが憶えています。何せ、あの井村コーチにかかっては、とても勝算があろうはずもなく、あえなくKO負けを食らったボクサーが退場するかのように、肩を落として帰っていかれました。

 そんなご縁もあって、残間さんが主宰された「パワーフォーラム」にも、お声がけをいただいたのかもしれませんが、彼女はその後も、財務省や国交省、厚労省の委員などを歴任され、09年には大人のネットワーク「club will be」を立ち上げ、10年から藤田観光の社外取締役を務められる一方、出版やラジオ出演など、多彩な方面で活動を続けられています。

 一方、大ぞのさんは、ご本業のほか、バイクに嵌ったり(もっともこれは、新御堂筋を直進することはできたものの、突き当りの箕面辺りで自力反転をすることが出来ず、早々に断念したとのことです)、近頃は故・木原光知子さんとのお付き合いが縁で始めた、水泳に嵌り、中尾ミエさんと共に、海外で開かれる「ウーマンズ・マスター水泳」に挑んでおられるといいますから、女性は本当に元気だなと思います。「えっ、井村さんですか?」井村さんは、04年アテネオリンピックでデュエットの銀メダルを獲得したにもかかわらず、代表コーチを外され、08年の北京オリンピックでは新たに赴任した中国の代表を銅メダル、続く12年のロンドンオリンピックでも中国代表をデュエット銅メダル、チーム種目銀メダルに導き、10年ぶりに乞われて日本の代表コーチに復帰した15年の世界選手権ロシア・カザン大会では、日本代表の乾友紀子・三井梨紗子ペアを銅メダル、チーム種目も銅メダルに導き、16年のリオデジャネイロオリンピックで、日本シンクロチームはデュエットとチームで銅メダルを獲得し、北京・ロンドンと2大会続いて5位に低迷していた日本のシンクロを再建されたのです。わが母校の創始者・新島襄の言葉を借りて言えば、まさに「ハンサムなウーマン」という他ありませんね。

大ぞの千恵子さん

残間里江子さん

 

 

代官山の「萬葉庭」

庭の綺麗な店でした

 

マングローブの今野誠一社長

会場となったマリンメッセ福岡

金メダルに輝いた立花・武田組

 

「蘆月」

 

50種類以上の旬の野菜と7種類の魚を、紙なべでいただきます

井村雅代さん

 

大沢みずほさん

肩を落とす矢野さん・・・ではなく「ドアラ」

新島襄はアメリカ留学時代の恩人に八重との婚約を報告し、彼女を「She is a person who does handsome」と評しました