木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 一方で10月に創刊準備号、11月に創刊号を出した「5ℓ」はいよいよ本格的に動き出し、私も巻頭インタビューのために、10月11日に小池百合子環境大臣(12月号)、24日に漫画家の弘兼憲史さん(2005年1月号)、12月5日には加山雄三さん(2005年2月号)にお目にかかりました。場所は小池さんが議員会館、弘兼さんが文化放送近くの、隠れ家という名前の通り、分かり難い場所にあるメゾン・カシュ・カシュというフレンチレストラン、加山さんが麻布台のラジオニッポンとそれぞれ違ったのですが、例えインタビュー時間が撮影時間を込めて1時間程とは言え、お付き合いいただいたゲストの方に礼を欠くこのないよう、下調べには時間を費やしたように思います。嘗てマネージャーをしていた頃に、何の準備もせずに来て、明らかに礼を欠くような取材をされて、不快感をいだいた経験がそうさせたのかもしれません。表紙を飾っていただく、いわば5ℓ誌の顔となっていただく方には、いい表情で写っていただくことが肝要だと思ったのです。

 弘兼さんの場合はご本人ではなく、漫画の黄昏流星群を表紙にして、小池さんや加山さんにはご本人の写真を使わせていただいたのですが、小池さんの号では、デザイナーが大胆にも、顔の上下をカットして、目を中心にした写真を使いたいと提案してきたのです。「おいおいそれはないだろう!」と思ったのですが、編集サイドが恐る恐る打診すると、何とご本人のOKが出たというのです。それより、「目じりの皺を気にされていました」と聞いて、「いや-、女心は分からないものだ」と思った記憶があります。後年には、顔ばかりではなく、あごの皺も消して、その上に腕までを細くして!とおっしゃった女性タレントさんも居られましたが、さすがに腕を細くすることだけは出来ず、断念をしていただいたことがありました。えっ、誰かって?さすがに、そればかりは守秘義務があって明かすことは出来ませんね。

 これ以外にも、私は「5ℓ世代への木村政雄の発言」というコラムを持っていたのですが、11月1日には、12月号の「大人のスタイリング術」という特集ページの取材で、南青山3丁目にある、菊池武夫さんがワールドと開かれた「40ct&525」(フォーティカラッツ・アンド・ゴーニーゴ)を訪れました。菊池武夫さんといえば、「MEN‘S BIGI」でDCブームの火付け役となった方で、その後神戸に本社のあるワールドへ移籍をされて84年に「TAKEO KIKUCHI」を世に出し、この年、大人のための「40&525」をプロデュースするため、店をオープンされたばかりでした。私も、「クールビズ」や「ウォームビズ」の委員会でご一緒させていただいたことや、ワールドさんとのご縁もあって、9月30日に開かれたオープニングパーティーには出させていただいたのですが、訪ねるのはそれ以来のことでした。モデルには、ほぼ50代のエッセイストや、経営コンサルタント、サックスプレイヤー、レストランのシェフがスタンバイされ、それぞれに着替えを済ませられていたのですが、見物に行った私も、菊池さんに勧められるままにカシミヤの黒のスーツを買って、一緒に撮影をする羽目に陥りました。なんと18万9千円、「何とか経費で落ちないか?」と編集部に掛け合ったのですが、「それは無理!」とのこと、でも「あの菊池武夫さんに見立ててもらったことを思えば、安いものかもしれない」と思い直すほかありませんでした。因みにブランド名にある525は、菊池さんの誕生日だとかで、なんと私と同じ双子座のお生まれだったのです。

 

 

メゾン・カシュ・カシュ

 

 

 

弘兼憲史さんと

 

2006年1月号

 

2005年12月号

 

2006年1月号

 

 

 

菊池さんに勧められるままに購入したカシミヤの黒スーツを着て撮影に。