木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 その他にも、この年には魅力的な経営者の方とお会いすることが出来ました。6月3日には、パレスホテルで行われたカゴメ共栄会の講演会で、主催されたカゴメ株式会社の喜岡浩二社長にお目にかかりました。愛知県の企業なのですが、喜岡社長ご自身が兵庫県のお生まれで、大阪市立大学を卒業され、大阪支店長を務められたことや、執行役員でコーポレート戦略室・広報部長の村松才兵衛さんが同志社のご出身ということもあり、どことなく親しみを憶え、その後もしばらくお付き合いをさせていただくことになりました。

 2002年に社長になられた喜岡さんは、「リーダーの資質はコミュニケーション能力にあり」と、翌2003年4月に、新しい需要の創造を目指すべく、「食の皆楽化」をテーマに、「自然を、美味しく、楽しく、KAGOME」というブランド・ステートメントや、「カゴメ・ファン株主10万人宣言」などなどの施策を打ち出されていました。

 また、9月29日にパシフィコ横浜で全国のライフプランナー1200人を集めて開かれた、「プルデンシャル会」での講演会が契機となって、11月7日にはプルデンシャル生命保険の三森裕社長や阿野安雄取締役と会食をさせていただきました。先のプルデンシャル会の折にはスケジュールの都合、すれ違いになったこともあって、改めて食事の場を設けていただいたというわけです。この年に社長になられた三森さんは、外車のディーラー「ヤナセ」に入社され、同期の中でもビリの成績しか上げらずれなかったのですが、やがて全国でトップクラスの営業成績を上げるまでになられました。ですが、88年にプルデンシャルに転じて、持ち前の手腕を発揮されて、営業畑から始めて社長に登用された方でした。

 くだけた雰囲気の中、横から阿野さんが横から「ベンツなどを売る際には、何しろこの車のタイヤにはドイツの空気が入っていますからと勧めていたらしいですよ」とチャチャを入れるなど、和やかなうちに場が盛り上がったのを憶えています。それでも、三森さんがプルデンシャルに入社をされて、渋谷支店長を務められていた頃には、まだ会社の規模もそれほどのものではなく、「営業に出たついでに、自らトイレットペーパーを買って帰ったことがある」とおっしゃっていましたね。2002年に、ホテルニュージャパンの後に建った、38階建てプルデンシャルタワーの威容からは想像もつかない微笑ましいエピソードなどを伺いました。

 プルデンシャル生命保険は、代理店や店頭での窓口販売をせず、ライフプランナーが直接顧客に会い、相談に乗りながらオーダーメイドの保険を提案するコンサルティング・セールスに特化した会社で、ライフプランナーには異業種の営業職で活躍をする優秀な人材を厳選して採用し、1995年には1000名だったものを、2002年には2000名、2006年には3000名に増やしていました。そのモットーである「成功の反対は失敗ではなく、妥協である」という言葉にある通り、三森さんは、優しさの中にも厳しさを兼ね備えた、名経営者と呼ばれるにふさわしい方であったように記憶しています。

 

 

 

 

右が村松才兵衛さん

 

東京カゴメビル

 

パシフィコ横浜(横浜国際平和会議場)

 

中央右が三森社長

 

阿野安雄さん

 

プルデンシャルタワー