木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 そうそう、4月18日には、あの有名な立木義浩さんに写真を撮っていただきました。といっても、私が選挙に出るためではなく、見合いをするわけでもありません。「サンデー毎日」グラビアの「人間列島」を撮影するためだったのです。立木さんは、NHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」のモデルになった、立木香都子さんの次男として徳島で生まれ、山口百恵さんの自叙伝「蒼い時」を始め、モノクロで女性たちを撮る手法で、半世紀に亘って日本の写真界をけん引されてきた方でした。実は、私が数カ月前に、高輪プリンスホテルのカフェラウンジでお茶を飲んでいた際、窓外の庭で立木さんが助手の方たちと、ベストポジションを探しながら歩いておられ、しばらくしてカフェラウンジに来て、お茶を飲みながら皆と談笑しておられる姿を見かけたことがあったのです。席が離れていたので、ふと目が合ったときに目礼をさせていただいたのですが、帽子のひさしに手をやって、挨拶を返していただきました。残念ながらその後の経過を目にすることなく私は席を立ったのですが、「やっぱり、高輪プリンスともなると、PR誌に高名なカメラマンを起用するんだな。それにしても、あれほどの人ともなると、ポジションだけを決めて、自分ではシャッターを押されないのかな?」という疑問は残りました。

 撮影場所の「六本木与太呂」でお会いした時、真っ先にその話をすると、あの時も、同じ「人間列島」の撮影で、若尾文子さんを撮っておられたそうで、シャッターの件は「僕は自分でシャッターを押しますよ!㊙㊙さんじゃないんだから!」と真っ向から否定されました。もっとも、私の撮影はものの20分くらいで終了、若尾さんとの格差を思い知らされました。

 次いで、5月30日には、久しぶりに結婚披露パーティに出席しました。場所は東京帝国ホテル。あいにくの雨にもかかわらず、200人ほどが集まりました。新郎の木脇祐二さんとは知人に紹介されて2・3度会っただけなのですが、それでも出席したのは、新婦が元マラソンランナーの増田明美さんだったからです。増田さんはこの頃、選手に向けるまなざしの温かさと巧みな話術で、女子のNo1.解説者として定評を得て、ナレーションの仕事もされるようになっていました。

 たしか、94年の4月2日にNTVで放送された春のドラマスペシャル「ブスでごめんね」で、野村宏伸・大塚寧々という美男美女カップルと共に、トミーズ雅君と、ブスカップルとして主役を演じられた時は驚きました。たしかに、おいしい役どころではあるのですが、それでもさすがに正面からブスと呼ばれる役を演じるには、ためらいが生じるものだと思ったからです。まして女優さんでもない増田さんが・・・と思ったのですが、一方でこの人はきっと頭がいい人だろうなという気がしたことを思い出しました。インタビューで「周りからは反対されましたが、人は持って生まれた顔立ちよりも、顔つきが大事というテーマに共感して、役に体当たりした」と答えておられるのを見て納得したのを憶えています。

 パーティの司会は前半が永六輔さん、後半が小倉智昭さん。2人が知り合うきっかけを作ったサンプラザ中野さんの乾杯の後、ゲストスピーチ。評論家の福田和也さんや作家の柳美里さんの、硬めの挨拶の後、言葉を削る仕事をしているにもかかわらず、延々とオチのない話が続く黛まどかさんの冗長なスピーチに、たまらず永さんが割って入ったところで前半戦が終了。後半はスピーカーも陸上界に移り、まず最初に登場したのが瀬古利彦さん、三遊亭楽太郎(現円楽)さんに似たルックスもあって、達者なスピーチで、ブーイング寸前だった場の雰囲気を一気に和ませました。その後「Qちゃん」こと、高橋尚子さんのスピーチなどもあって、最後は新郎新婦のご挨拶。ノセるのが上手い小倉さんの司会よろしきもあって、会場のムードも最高潮。ついには着物姿の新婦が、都はるみさんの「好きになった人」を披露、「さよーぅなら、さよなーら」を身振り手振りを交えて熱唱した姿は、まるで都さんと見間違えるほどの「芸」になっていましたね。同じテーブルに着かれていた、吉永みち子さん等にご挨拶をして、東京駅に向かったのは3時間後のことでした。

立木義浩さん

 

立木義浩さんに撮っていただいたサンデー毎日の「人間列島」(六本木 与太呂にて)

 

 

 

 

 

 

 

増田夫妻と大阪の伊万邑で会食

 

スピーチも短くしましょうね

 

そっくりなお二人

 

最後は着物姿で新郎新婦されるお二人