木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 塾生さんたちとの気持ちの交流を図る手段として、今では到底考えられない、アナログな「交換日記」という手段を思いついた背景には、若い頃にみた、あるテレビドラマから受けた影響があったように思います。原作は、たしか、大和書房から前年末に出版されて、160万部を売り上げ、1964年度のベストセラーになった「愛と死をみつめて」でした。共にタイガースファンということで知り合った、河野實(マコ)と大島みち子(ミコ)の2人が、それぞれ東京と京都の大学に進学した後も遠距離恋愛を続け、ミコが、軟性骨肉腫という難病に罹り、顔の半分を失って、マコの22歳の誕生日の前日に、自分のメモリアルデーを刻んで去って逝くという感動的な物語で、生前に2人が交わした3年間に及ぶ手紙集を書籍化したもので、70年に作られたアメリカ映画「ある愛の詩」同様、純愛と離別をテーマにした感動的な物語でした。

 テレビでは、4月にTBSが、石井ふく子プロデューサー、脚本を橋田壽賀子さんという名コンビの手によって、大空真弓さんと山本学さんを主人公に、東芝日曜劇場で2週にわたって前後編として放送され、すっかり(みこを演じた)大空真弓さんのファンになりました。更に7月には、酒井政利さんが手掛けた初のプロデュース作品として手掛けた同名のレコードが出版されたのです。作詞は土田啓四郎さんで、作詞が大矢弘子さん、歌ったのは、12歳で第6回コロムビア全国歌謡コンクール1位に輝き、前年に「青い山脈」でデビューしていた、当時18歳の青山和子さんでした。作品はこの年のレコード大賞に輝き、紅白歌合戦初出場まで果たしたのです。歌詞にある「たとえこの身は召されても 二人の愛は永遠(とわ)に咲く みこの命を生きてまこ」という歌詞に感動して、同じ京都生まれの、同い年でもあった青山和子さんにファンレターを出して、今から思えば、おざなりの印刷された葉書をもらって感激したのを憶えています。

 さすがに、1月に放送されたニッポン放送のラジオ劇場や聴いたり、9月に吉永小百合さんと浜田光男さんが主演した、斉藤武市監督の日活映画まで観ることはなく、きっと今なら「難病と離別って、悲劇の定番じゃん!」などと、可愛げのないことを嘯いたりするのでしょうけれど、信じられないことに、当時の私には、まだそんな汚れを知らない、ピュアな心が溢れていたのかもしれません。

 その上、ヒロインの大島みち子さんが通われていたのが同志社大学の文学部の新聞学専攻で、なんと私と同じだったのです。もっとも、大島さんは罹病されていたこともあって、高校を5年かけて卒業され、入学後わずか5カ月で他界されたこともあって、入学後にお目にかかることは無かったのですが、それを知って、「愛と死を見つめて」をさらに身近に感じるようになっていたのかもしれません。

 この作品のお陰もあって、「交換日記」という言葉が、これ以降ポピュラーになっていきました。そんなこともあって、塾生の皆さんたちと気持を通わすためにも、この「交換日記」を是非使ってみようと思い立ったというわけなのです。思えば、高校3年の修学旅行で南九州を訪れた時には、バスガイドさんから、当時ヒットしていた舟木一夫さんの「高校三年生」を聴かされ、大学に入って「愛と死をみつめて」を聴かされたのですから、まさに「コロムビアレコードに左右された青春期だった」と言えますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

酒井政利さん