木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 9月21日には、一柳良雄さんから声を掛けていただいて、青山一丁目の近くにある「シティクラブ・オブ 東京」へ行きました。カナダ大使館の地下にある高級会員制の倶楽部で、到底私などが行ける場所ではなかったのですが、ほかならぬ一柳さんからの依頼とあって、お引き受けしたのです。

 一柳さんは八尾高から東大、そして通産省へ進まれた方で、宮沢喜一・田中角栄というおふたりの通産大臣の秘書を務められ、ハーバード大学のケネディスクールへ留学、IEA(国際エネルギー機関)に課長としてパリに赴任されるなど、主にエネルギー畑を歩まれ、95年に機械情報産業局次長を最後に退官されていました。私と同じ1946年の戌年生まれ(とはいっても、1月生まれの一柳さんは、5月生まれの私より学年は上でした)、関西ご出身という以外、およそ私などとは接点の生まれようもない方でした。

 ご縁が出来たのは、たしか99年の夏ごろに、ソフトウェアのサポート会社を経営されていた辻阪京子さんからのお電話があり、その辻阪さんが伴って連れて来られたのが、一柳さんだったというわけです。多分、一柳さんが93年に近畿通産局長を務められた頃に、おふたりの接点が出来たのだとは思いますが、お話は、一柳さんが岩谷産業の牧野明次社長と共に、チャレンジ精神を持つベンチャー企業を支援する「ベンチャー・コミュニティ」という組織を立ち上げるので、協力をして欲しいとのことでした。主宰は一柳さんが担い、辻阪さんが世話人、私は牧野社長や、子供服・ミキハウスの三起商行・木村皓一社長、お好み焼き・千房の中井政嗣社長、エンゼル証券の細川信義社長、大阪大学大学院の白川功教授らと共に、無報酬で、たしかアドバイザーを務めてほしいとのことでした。そんな立派な方々に混じって、自分が何かをできるとも思えなかったのですが、「大阪を元気に!」ということでは何某かの貢献は出来るかなと思って、お受けをすることにしたのです。

 11月27日には、午後3時から梅田のリクルートビルで、アスキーの西和彦取締役をスピーカーに招いた第一回目の会合が開かれました。2000年2月14日には、一柳さんを紹介すべく、林社長と共に北新地の「神留」で食事を共にしました。私が店を選んだこともあって、当然後日に請求書が来るものだと思っていたのですが、いつまでたっても来ないので、問い合わせると、「一柳さんにお支払いいただきました」とのこと、こちらがセッティングしたにもかかわらず「申し訳ないな」とは思ったのですが、いつしか失念していて、4月20日、6回目のベンチャーコミュニティで、私がスピーカーを務めた時に、前振りの中で、「招待されて行ったのに、勘定を払わせるなんて、さすがにケチな吉本だと思った」と紹介されるのを聞いて「あ、やっぱり、あの日のことを忘れないで、まだ怒ってたんだ!」と思った、苦い記憶があります。

 招かれたのは、当時一柳さんが、経済ジャーナリストの片山修さんと立ち上げられていた「一片塾」という会での講演のためでした。片山さんは明治大学を出られた後、名古屋タイムスの記者をされ、フリーランスのジャーナリストとして活躍されていた方で、「トヨタの方式」や「ソニーの法則」(共に小学館刊)や中央公論や文芸春秋、週刊エコノミストなどにコラムを持たれて、自動車業界や電機業界の企業経営論では日本の第一人者と言われた方でした。そんなおふたりが主宰される会とあって、当然お越しになる方も、大企業の社長・役員クラスが多かったのですが、別に大して講演料をいただいているわけでもなく、「ダメだったら、呼んだ方の責任だ」と腹を括ってお話させていただきました。終わって、何人かの方と名刺交換をさせていただいたのですが、その中のおひとりが、当時JR東日本の代表取締役副社長 事業創造本部長をされていた、細谷英二さんだったのです。

一柳良雄さん

シティクラブ・オブ 東京

辻阪京子さん

岩谷産業 牧野明次 社長

ベンチャーコミュニティー5周年のゲストは塩川正十郎さんでした

本のオビにも・・・

私もオビに

千房 中井政嗣 社長

北新地・神留(かんとめ)

経済ジャーナリスト 片山修さん

JR東日本 副社長 細谷英二さん