木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 KBSは、51年にラジオ単営局の「京都放送」としてスタートし、その後「近畿放送」に社名を変更して、69年にテレビを開局したのですが、94年に、かの「イトマン事件」のあおりを受けて経営難に陥り、労組が未払い賃金である労働債権をもとに、会社更生法の適用を申請、翌95年4月に適用が決まり、日本で初の廃局となる危機を免れたのです。管財人として乗り込んだ弁護士の古家野泰也さんは、100%の減・増資をして、「イトマン事件」に関わった役員や株主を一掃、商号も「京都放送」と変え、新体制のもとで社長を務めておられました。「京都から放送の灯を消さないで!」と署名をした、40万人の市民や、タレントさん、無給で頑張った労組の人たちの声が届いたのか、京セラや、オムロン、ワコール、任天堂など、京都の主だった企業からの出資もあり、再建への道を歩みはじめていたのです。

 私も京都に住んでいた頃は、毎朝のように、甘いルックスで「日本のアラン・ドロン」を自称して人気を集めていた、落語家・森乃福郎さんのKBSラジオ番組「お早うキンキ、ハイハイ福郎です」を聴いていましたし、夜の「ハイヤングKYOTO」には、火曜日に桂文珍さん、木曜日にザ・ぼんち、土曜日には島田紳助さんなどが出演をしていたことがありました。さらに、この当時にも、仁鶴さんが「想い出メロディー」、いくよ・くるよさんが「はりきりフライデー」と、人気のレギュラー番組を持っていて、とてもなじみのある局ではあったのです。

 ただ、ラジオの方は鈴木さんや上司の森さん、先輩の町田さんや田淵さんといったベテランの方も居られて、大阪局に引けを取らないほどの制作力を誇っていたのですが、ちょうど私が吉本に入社した69年に始まったテレビの方は、UHFということもあって、V局に比べて、人材も薄く、予算もかけられず、苦戦を強いられていました。たしか、私が仁鶴さんを担当している時だったと思います、当時、寄席番組を担当されていた、塩島さんか福居さんから、「仁鶴さんに出て欲しい」とオファーを受けて、「忙しいから無理」とつれなく断ると、「そこを曲げて!」と食い下がられたので、「じゃ、1分間1万円で!」と答えると、「なら、1分でいいから出演して!」と食い下がられたことがありました。

 冗談じゃありません、1分でネタができるわけはありませんし、だいいち「大阪から京都へ行くまで、どれくらい時間がかかると思っているんですか!」とお断りしたことがあります。そんなに製作費がないなら、いっそNHKがテレビ創世紀にやったように、ラジオ番組をテレビでも中継して流す「サイマル放送をやれば!」と提案したことがありますが、「放送法が云々・・・」と言葉を濁されたまま、ついに実現することはありませんでした。

 仁和寺で初めてお目にかかった古家野社長は、とても誠実そうなお人柄で、同じ酒席でも、京セラから来られていた三輪専務とは違って、陽気に振る舞われることもなく、静かに対応されていたのが印象に残りました。

 次に古家野さんとお会いしたのは、明けて2000年の8月15日のことでした。場所は、KBSにほど近い京都ブライトンホテル。古家野さん以外に、シラフの三輪専務、そしてKBSプロジェクトの千代正實さん。お話されたのはやはり、「テレビコンテンツの強化」でした。同時に、KTVが98年11月にCS対応として始めた「関西テレビ☆京都チャンネル」との提携も進めつつあるという話なども伺い、吉本としても何とか協力をしようと、KBSプロジェクトと共同で始めたのが、「よしもと興業京都支社」という番組でした。支社長役の私は、ほとんど写真だけの出演で、実際に出演をしていたのは、支社長補佐兼制作部長役の、敬愛する恐妻家の先輩・川崎宗夫さん、部下にケンドー小林、宣伝部長が西川のりおさん、部下がたむらけんじ、他にかつみ・さゆりさんのコンビや、若手タレントが出演をする、業界バーチャル・バラエティでした。

 その後、KBSは、「関西テレビ☆京都チャンネル」と「桑原征平のおもしろ京都検定」などの番組を共同制作したり、2000年12月31日、ミレニアムを機して実施された、過去に前例のない「大文字送り火中継」を、キー局としてフジテレビや関西テレビに配信して相互の関係を深め、関西テレビとフジテレビが共に、KBSへ資本参加をする運びになったのです。もちろん、吉本興業も共にKBSに出資をさせていただきました。

 こうして再建への道筋をつけた古家野さんは、2002年社長の座を、前KTVの加藤さんに譲り、弁護士に復帰されたのですが、2017年9月5日に逝去されました。そして、古家野さんを実務面で支えられた千代さんは、いま一人、前KTVの中澤社長を経た後、KBSの社長を務め、現在は会長職に就かれています。

85〜02年まで社長を務められた古家野泰也さん

落語家・森乃福郎さん

文珍さんと、社員でありながら共にパーソナリティを務めた岩崎正美さんこと、「小せん」さん。この名前の由来は「小さな大橋巨泉」と言うことで付けられたといいます。

いくよ・くるよさん

川崎宗夫さん

五山の送り火(右から左へ点火していきます)

千代正實さん