木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 とは言え、さしたるノウハウもない我々に、映画の番組編成ができるわけもなく、ここでもオフィス100%の尾中さんの人脈とブッキング力に頼ることになりました。経験を積んでいくうちに、きっと自前のスタッフも育っていくだろうと思ったのです。96年2月1日、まず最初の上映作品となったのは、高橋伴明監督の「セラフィムの夜」、94年に出版された花村萬月さんの原作を映画化した作品で、主演が大沢逸美さんと白竜さん。「二人の男女が、それぞれ自らのアイデンティティーを求めて彷徨う」という少々ややこしい作品で、1月にヘラルド映画で試写を見た時には「うーん!」とは思ったものの、それは自分の単なる好みかも知れないと思い、あえて口にすることはありませんでした。

 高橋監督のお名前は、82年に三菱銀行人質事件を題材にした作品「TATTOO<刺青>あり」に西川のりお・上方よしおコンビをブッキングさせていただいたことがあって、かねてより存じ上げておりました。主演が宇崎竜童さんと関根恵子さん、他にも渡辺美佐子さんや植木等さん、原田芳雄さん、主題歌を内田裕也さんと、そうそうたる顔ぶれが揃っていた作品でした。79年に大阪の北畠支店で事件が起きた時、一晩中まんじりともせず、テレビに映る銀行のシャッターを見入っていた記憶があります。あれほど熱心にテレビを見たのは、72年に起こったあさま山荘事件以来のものでした。あくる日会社へ行くと、出会う人が皆一様に真っ赤な腫れぼったい目をしていました。この作品への出演依頼は、製作を務められた井筒さんからだったと思いますが、すぐに応じたのはきっとそんな自らの体験もあったのだと思います。

 記者発表に臨んだ席で、「セラフィムの夜」という作品の内容のことは監督にお任せして、私は吉本が映画をやる意義を語りつつ、心中では、「TATTOO<刺青>あり」がきっかけになって、関根恵子さんと結婚したのはこの人か!監督っていいよなあ!」と羨む気持ちで伴明さんの横顔を眺めていたような気がします。

 更に9・10月は阪本順治監督の、「どついたるねん」「王手」に次ぐ新世界3部作のトリとなる「ビリケン」をメジャーと同時に、上映することになりました。以降も「不良モン百発百中」「KIDS」「岸和田少年愚連隊」「ガキ帝国」など個性的なプログラムが組まれていきました。併せて映画製作の方では、97年に「岸和田少年愚連隊 血煙り純情編」を千原兄弟主演で、98年「岸和田少年愚連隊 望郷編」を竹中直人さん、りあるキッズ・長田融季君主演で作りました。この作品には、セディックの中沢さんからのご紹介を受けた、丸紅の古里靖彦部長とのお付き合いが始まったこともあって、丸紅さんからのご出資もいただきました。丸紅さんとは同じ年に、豊川悦司さん、真木蔵人さん主演の「愚か者 傷だらけの天使」と、桃井かおりさん主演の「大怪獣東東京に現わる」の2作品を作らせていただきました。「傷だらけの天使」は、74年から75年にかけて萩原健一さんと水谷豊さん主演のNTVのヒットドラマで、監督を深作欣二・神代辰巳・工藤栄一・恩地日出夫という映画監督の俊英が務め、メインライターが気鋭の市川森一さん、主題歌は井上堯之バンド。プロデューサーは「太陽にほえろ」や「熱中時代」「前略おふくろ様」で名をはせた清水欣也さん、通称シミキンさんという何とも豪華な顔ぶれでした。清水さんのお名前は、ドラマ畑の人間でもない私でもそのお名前を存じ上げていたくらいですからその世界では著名な方でした。私との接点は多分、86年に清水さんが年末ドラマ「白虎隊」のプロデューサーをされた時、木村一八君と西川弘志君の出演依頼を受けた時くらいのものだと思いますが、ふんぞり返るわけでもなく、なかなかユニークで楽しい方だったように記憶をしています。

「セラフィムの夜」

「TATTOO<刺青>あり」

三菱銀行人質事件

製作クレジット

「大怪獣東東京に現わる」

第2作

第3作