木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 読売テレビさんと制作会社を作ったのもこの頃、98年でした。先行していたMBSさんとは73年にITSという制作会社を設立していたのですが、より関係を密にするため、YTVさんとも会社を作ることになりました。決め手になったのはドラマでもお世話になった今岡大爾さんの存在が大きかったように思います。

 昔は吉本も局別に担当者がいて、NHKは川崎さん、MBSは影山さん、ABCは河井さん、KTVとYTVは井上さんという先輩が仕切っており、マネージャーが自分の担当するタレント以外で、プロデューサーと関わることはそれほどなかったこともあって、「11PM」や三枝さんの「ザ・恋ピューター」、「御堂筋パレード」などを担当されていた今岡さんとのお付き合いはほとんどなかったように思います。もちろんお顔だけは拝見していたのですが、パンチパーマをかけた風貌が恐ろしくて、「お笑いネットワーク」や、「笑の会」を主宰されて演芸の活性化に尽力されていた有川寛さんをお訪ねした折に、遠くからただ眺めていただけのことでした。

 お付き合いが出来たのは、私が東京から帰り、制作部長になって、92年にYTVが制作をする連続ドラマ13作目の「愛情物語」の共同制作をご提案いただいた頃からだったと思います。86年4月から始まったこのシリーズで、今岡さんはそれまで担当をされていた荻野慶人さんに代わって、87年10月スタートの4作目「おさと」からチーフプロデューサーを務められていたのです。お話をいただいた時、「果たして、我が社で出来るかな?」とも思ったのですが、甲斐智枝美さん主演の3作目「見上げればいつも青空」を松竹芸能がやったと聞いては引き下がるわけにはいきません。

 そんなこともあって、以降頻繁にお会いするようになり、93年10月から「ダウンタウンDX」を始めることになったのです。演出は「鶴瓶・上岡のパペポTV」や「EXテレビ」で知られた白岩久弥さん、CPが木村良樹さん、今岡さんが制作だったと思います。

 強面に見える今岡さんでしたが、お付き合いをしてみると結構お茶目な一面もあって、奥さんと愛犬ピョンコちゃんを乗せてドライブしている時、折悪しく踏切の途中でエンストをしてしまい、後部座席に奥さんを残したまま、助手席の愛犬だけを抱いて脱出したエピソードには笑ってしまいました。幸い電車が停止してくれて事なきを得たのですが、もし止まらなかったら大惨事になったところでした。家に帰った後、奥さんの冷たい視線にさらされる姿を想像しただけで笑えますよね。当時、大阪随一の高さを誇った、天満のOMMビル屋上の回転展望レストラン「ジャンボ」で、今岡さんが女性と楽し気に食事をしていると、視線の先に固定席で奥さんが友人と食事を取っておられる姿が入り、ヤバイ!すぐに隠れようとしたのですが「何せ回転の速度が緩くてなかなか視界から外れなかった」というエピソードにも笑えました。

 そのうち、共同で制作会社を作ろうという話になり、形になったのがYTVのYと、吉本のYから取った、「ワイズビジョン」という会社です。出資比率はYTVが51%、吉本が49%。代表取締役社長には、前年YTV番組本部局長待遇企画推進室長から読売エンタープライズ専務に転籍されていた今岡大爾さん、制作の中心を担う白岩久弥さんも取締役に就くことになり、私も非常勤ながら加わって、「ダウンタウンDX」の他、関西ローカル番組の制作などを手掛けることになりました。

 残念なことに、2017年8月4日、今岡さんは旅立たれてしまいました。私が退職後構えていた事務所を東京へ移して以来、お目にかかる機会もなく、「一度お会いせねば」と思っていた最中、奥様からの訃報に接し、ただただ茫然と立ち尽くすばかりです。「今岡さん、本当にお世話になりました。いつか、あの世でお目にかかり、出来れば回転しない方の席で、思い出話に花を咲かせましょうね。」

今岡大爾さんと奥様と一緒に

有川寛さん

「ザ・恋ピューター」

「ダウンタウンDX」

「鶴瓶・上岡のパペポTV」

「鶴瓶・上岡のパペポTV」の台本

当時、大阪一の高さを誇ったOMMビル

回転展望レストラン「ジャンボ」