木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 88年にはフジテレビの佐藤義和プロデューサーによる「夢で逢えたら」、91年には「ダウンタウンのごっつええ感じ」が始まり、ダウンタウンは次代のスターとしての地位を歩み始めるようになります。もちろん本人の努力もさることながら、彼らをここまで持ってきたのは、大崎洋君の功績であるのは異論のない処です。よく、何年に〇〇のマネージャー、〇〇のマネージャーと紹介をされたりしますが、多くの場合は前任者を引き継ぎ、次にバトンを渡したというだけのことです。一時期、完成したタレントである仁鶴さんや、花紀京さんを担当していた私のようなものです。と、いう意味では、たとえ会社から正式の担当と言われなくとも、ゼロから、彼らを実質ここまで持ってきた彼は、真のマネージャーであったと言っていいのかもしれません。真の仕事とは、「何を生みだしたか」ということに尽きるのではないでしょうか。

 広報部員でありながら河内家菊水丸の才能に目を付け、CM音楽の奇才・吉江一男さんによるコマーシャルソング「カーキン音頭」をヒットさせて、一躍有名にした竹中功君や、停滞気味であった間寛平さんを再生させた比企啓之君、当時無名に近かった宮川大助・花子さんを売り出した松岡(現・大谷)由里子君なども、そう言えるかもしれません。そしてもう一人、「木魚君」こと泉正隆君にも同じことが言えるのではないかと思います。

 91年、彼は2丁目の若手6組12人、雨上がり決死隊(宮迫博之・蛍原徹)、ナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之)、チュパチャップス(星田英利・宮川大輔)、バッファロー吾郎(竹若元博・木村明浩)、FUJIWARA(藤本敏史・原西孝幸)、へびいちご(島川学・高橋智)を、ダンスもできるアイドル芸人ユニット「吉本印天然素材」としてデビューさせました。演出は東京ボードビルショーを手掛けた谷口秀一さん、そして振付は、後にモーン二ング娘やハロー!プロジェクトの振付で有名になった夏まゆみさん。スタート時からNTVの「吉本印天然素材」やTBSの「ピカピカ天然素材」など、レギュラー番組を持ったこともあって、全国で展開したライブでも人気を博するようになりました。

 笑えるのは、松竹芸能が、「吉本印天然素材」(略称「てんそ」)に便乗して、ますだおかだ・TKO・よゐこ・のイズの4組8名で、「松竹印人工素材」(略称「じんそ」)をデビューさせたことです。これって、いくら何でもパクリすぎです。案の定、全く世間に知られることもなく消滅してしまいましたね。やはり「人工」は「天然」には勝てなかったのです。東京でも同時期に、お笑い系の事務所が集まって、「てんそ」に対抗すべく、ネプチューンや、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)ら7組16名のお笑いユニット「東京ギャグファクトリー」(略称T.G.F)を始めましたが、各社の思惑が違ったのか、うまくいかなかったようですね。ある時、泉君に「あの6組どうやって選んだの?」と尋ねると、「いや、一番ヒマな6組を選んだだけです」と言っていましたが、千原兄弟がオーディションに落ちたところを見ると、とても、その言葉を文字通りに受けるわけにはいきません。

「夢で逢えたら」の企画書

 

谷口秀一さん

 

夏まゆみさん

 

吉本印天然素材(略称:てんそ)

 

東京ギャグファクトリー(略称:T.G.F)