当時は、まだ会社の知名度もそれほどなくて、タレントさんと食事に行った際に領収書のあて名を書いてもらう時、「吉本興業」とお願いすると、ほとんどの場合は「吉本工業」と書かれましたね。喫茶店へ入ってコーヒーを注文する際に、「フレッシュ」と言って、怪訝な顔で「ミルクのことですか?」と聞かれたこともありました。事務所のあるビルの前を通る赤坂通りにも、当時はまだ貸本屋さんや、紫煙に煙る「憩」という喫茶店、塩バターコーンラーメンの旨い「薄野」、裏道には、棚に並んだおかずを選んで、御飯やみそ汁を注文する「桑原食堂」などもありましたね。
売れっ子タレントのスケジュールを押さえるために、各局の方が、たかだか20平米くらいの狭い事務所へお越しになるのですが、なぜか一番近くにあるTBSの方だけは、「じゃ、3(階)ロビ(ー)で!」と、自社へ来るのがあたかも当然のようにおっしゃるのが不思議でした。もちろん、こちらとしては自社のタレントを使っていただくわけですから、出向く事は一向にやぶさかではないのですが、当時はドラマや報道番組でヒット作を多く抱え、18年間もゴールデンタイムで視聴率トップを走って「民放の雄」と称されていたこの局にとっては、「バラエティの王道は、ドリフターズであって、大阪の漫才なんかじゃない」と見下されているような気がしたのも確かです。
中には、「初笑いウルトラ寄席」や「横浜スカイ寄席」のプロデューサー・白井良幹さんのような、演芸に愛情を持った方もいらっしゃいましたが、ドラマ班や歌謡班に比べて、制作部の中では地味な存在でしかなかったですね。とてもまじめな方で、この方の前ではシャレを言うのもはばかられるような雰囲気がありました。
当時の私が受けた印象を百貨店に例えていうなら、TBSが「オーセンティックな三越」で、フジテレビが「トレンディな伊勢丹」だったいうところでしょうか。もっとも、この裏には、三越がかって本店や大阪店を構えた日本橋や高麗橋が、確かに昔は栄えた処だったけれど、今は中心地から外れていることや、伊勢丹が本店を構えた新宿が、戦後合区をした新興地だったけれど、今では多くの人がの集積する場所になっているという比喩を込めて、そう思っていましたね。まさに、この頃からTBSが次第にトップを取れなくなって、代わりにフジテレビが台頭していくようになったのです。
「薄野」の塩バターコーンラーメン
白井良幹さん お世話になりました
「横浜スカイ寄席」が開かれていた当時のスカイビル