木村政雄の私的ヒストリー

HISTORY

第話

 そうそう、大学院と言えばこの年の5月9日、横浜の関内にある「大学院」に行きました。もっとも、こちらは同じ大学院という名前が付いてはいても、正確には「コーヒーの大学院 ルミエール・ド・パリ」という喫茶店でした。扉を開けると、床一面に赤い絨毯が敷かれ、鎧を着た騎士の像が飾ってあり、店の設えに合わせてか、レトロな女性がオーダーを取りに来る店でした。思わず、「ここは小樽のキャバレー現代か!」と叫びたくなる衝動を抑えて、店内を見ると、これまた客の方もレトロな方ばかりという不思議な店でした。おそらく、「現代」と同様に、既に皆さんがお亡くなりになってしまったのではないかと懸念をしています。

 実は、この日関内へ行った目的は、この大学院へ行くことではなくて、他にあったのです。京浜東北線の関内駅を降りて、左に横浜市役所、右に横浜スタジアムを見ながら進んだ先にある、「横浜サトウクリニック」という免疫療法で有名な病院を訪ねることだったのです。父方の祖父を食道癌、父を直腸癌で亡くしたこともあって、てっきり自分も癌で死ぬのではないかと思い込んではいたのですが、いくら周りから勧められても、どうしても人間ドッグに行く気にはならず、日々を過ごしてはいたのですが、ある時、妻が当時住んでいたマンションの向かいのビルに入っていた洋品店のママから「ご主人が罹った舌癌を、この病院のお陰で切らずに治した」という話を聞き込んできて、「それなら一度行ってみようか」という気になったのです。年に一度、問診の後に、ただ免疫注射を受けるだけなのですが、都合10年ほど通いましたかね。何ら保証のないフリーの身になって、この先、自分が倒れるわけにはいかないという思いがそうさせたのかもしれません。決して安いとは言えない金額ではありましたが、おかげで、今のところ無事に過ごせているところをみると、やはりそれなりの効果はあったということだと思っています。

 診療そのものは、20分くらいで終わってしまうこともあって、終わった後は、先の大学院の他に、1870年に日本初の日刊新聞「横浜毎日新聞」が発刊されたこともあって建てられた「新聞博物館」を訪ねたり、1868年に、関内と、外国人居留地のあった横浜港を結ぶ道として造られ、アイスクリームや街路のガス灯発祥の地とされる、馬車道へも足を延ばしていましたね。そうそう、馬車道は1982年に桑田佳祐さんが作詞作曲をされた中村雅俊さんの「恋人も濡れる街角」にも歌われていました。もっとも私には「馬車道あたりで待つ」女性などはおりませんでしたがね。

 出た後は、まっすぐに、「赤い靴をはいていた女の子像」のある山下公園近くにある、「ホテルニューグランド」へ移動しました。関東大震災で壊滅的な打撃を受けた横浜を復興すべく、官民一体となって1927年に造られたこのホテルは、最新式の設備とフレンチスタイルの料理で人気を集め、瞬く間に横浜のランドマークとなるほどの人気を集め、皇族や、イギリス王室の賓客のみならず、チャーリー・チャップリン、ダグラス・マッカーサーなど要人が利用するホテルとなりました。このホテルの厨房から、ドリア、ナポレオン、プリン・アラモードなどのメニューが生まれ、後にホテルオークラの総料理長になった小野正吉さんや、プリンスホテルグループの総料理長になった木次武雄さんなど、多くの人材を輩出したと言われています。こうして横浜でのスケジュールを終えたのですが、東京とは一味違う、横浜という街の持つ文化的な雰囲気にすっかり魅せられた一日となりました。

 

店内には赤い絨毯が・・・

なぜか騎士像が飾られていました

 

 

 

牛や馬の水飲場もありました

 

 

「赤い靴をはいていた女の子像」

 

山下公園から見たホテルニューグランド

ホテルニューグランド